

2024.07.02
谷川醸造さんのサクラ味噌

投稿スタッフ

昨日で、令和6年能登半島地震から、半年が経ちました。
あっという間のようなすごく長かったような半年。
被災地の方々は、どんな想いでこの日を迎えていらっしゃるのでしょうか。
全国的には、ニュースで取り上げられることも減っていると聞いています。
私たちは未だに毎日のように話題になりますし、進まない復興に憤る声なども耳にすることも多々あります。
きっと同じ想いは持てなくても、常に寄り添い、出来ることをしていこうと決めた今年の1月。私たちの挑戦も、現在進行中です。
そんな中、6月半ばに、輪島の谷川醸造さんにお伺いしました。
一緒に行った直子さんは、北陸チャリティーレストランの炊き出しですでに何度か輪島を訪れていたのですが、私は震災後初めて足を踏み入れました。
道中、のと里山海道の様子にいちいち驚く私に、直子さんが「これでもだいぶ良くなっているんだよ」と教えてくれました。
この約半年の間、どれだけの方がこの道を通り、心を痛め、それでも支援のために向かっていたのだろう。そしてどれだけ多くの方が、日々石川県の動脈であるこの道の補修に携わってくださっていたのだろうと、輪島に着く前から、感情が追いつかない状態でした。
金沢を朝の7時に出て、輪島市内に着いたのは9時過ぎ。
輪島市内に入ってすぐのコンビニに小休憩のために止まったら、そこのすぐ隣のお家は倒壊していて、荒れた家の中が露わになっていて、コンビニの中のお手洗いも「断水中のため、使用不可。」との表示と黄色と黒のテープで入れないように養生してありました。コンビニによくあるコーヒーマシーンも使用出来ないとのことで、改めて、私たちの日常とは違う空間に足を踏み入れたのだな、と実感しました。
その後車を走らせ、大好きなパン屋さんが入ったショッピングモールを解体している様子を見たり、多くの家が倒壊している様子を車中から眺めました。
自分が今何を見ているのだろう、これが現実なのかすらわからない、1秒1秒目に入ってくる景色の情報量の多さに、思考がストップしそうな状態に。
最近でも金沢で「奥能登は震災後何も変わっていないよ、昨日震災がありましたって言われても納得するような状態だよ」と色んな方から聞いていたのですが、その表現が大げさでもなんでもない、そんな光景が続きました。
谷川醸造さんに近づき、あらかじめお隣のスーパーをナビにセットするといいよと言われいたのですが、その手前に黒い瓦の大きな建物が倒壊していて、まさかそれが谷川醸造さんとわからず通り過ぎてしまい、スーパーについて、「え、今通ったところだったの?」と驚きつつ、到着しました。

谷川貴昭さんがお迎えしてくださいました。谷川醸造さんの4代目です。
1904年に酒造業として創業し、1918年に味噌醤油製造を開始された谷川醸造さん。
4代目の貴昭さんは大学卒業後、兵庫県の醤油蔵で修行をされ、その後お父様が体調を崩されたことから、酒造業の修行もしたいという志半ばで地元輪島に帰り家業を手伝い、4代目を受け継ぎました。
戻られてからしばらくして、事業の「選択と集中」を行い、酒造を廃止し、醤油と味噌づくりに特化されました。
今では輪島で唯一のお醤油蔵として、地元の方々の生活になくてはならない存在であります。
貴昭さんには昨年の2月に金沢の石川県立図書館で開催された、谷川醸造さんのお味噌作りワークショップに参加させてもらった際にお会いして、1年4ヶ月ぶりの再会でした。
(その時に作った感動的に美味しかったお味噌作りの様子は、スタッフ日記にも書いてあります)
約3年前にリノベーションしたという本社横のショップに通していただき、まずは色々お話を伺いました。ショック状態の私はなかなか口を開けずにいる中、貴昭さんと直子さんが今回の震災後の様子や最近の取り組みなどを話していました。
きっと震災後色んな方に同じことを聞かれ、同じことを何回も話されているのだなと、きっとすごい大変な想いをされたし、今もされているだろうに、冷静にお話しされている貴昭さんの様子に、芯の強さを感じずにはいられませんでした。
手前の全壊した建物は600平方メートルある、築100年以上の醤油・味噌蔵。そのお隣にある、同時期に建てられた、原材料を洗ったり蒸したり、加工したりする蔵は、今回の震災の影響から免れたため、現在は麹作りを再会させ、当面そちらで加工品などの出来るものから作り始めていくとのことでした。
一通りお話を伺った後に、倒壊した蔵を含めた施設を案内していただきました。
まず目に入ったのは、外でむき出しになっている大きな「木桶」たち。
戦前に作られたであろう先祖代々受け継がれてきた木桶は12本あり、そのほとんどが蔵の倒壊の下敷きになりました。
5月に県内外のボランティアさんが、蔵のレスキューに来てくださり、12本あったうちの数本は利用可能な状態であったため、四国の職人さんが持ち帰りメンテナンスをしてくださっているそうです。今輪島に残っているものは、少し削って組み直して、サイズダウンすれば再利用出来る可能性のあるものとのことですが、現状シートで覆ったりしながら保管しておられます。
現在、日本国内で木桶を使って作られるお醤油は、全体の1%とのこと。
木桶はメンテナンスが必要なため、ステンレスなど金属製やプラスチック製のタンクが主流になっています。木桶の職人さんも減ってきているとのことで、今回も谷川さんの状況に気を揉んだ四国の職人さんが自ら桶の状況を確認に来て下さったそうで、その横の繋がりの強さを感じました。
また、その木桶で、谷川醸造さんは、10年ほど前から大豆や小麦から糀をつくって醪(もろみ)にするという昔ながらの醤油造りも再開させました。それも地元能登の原材料を厳選して使用したもので。
毎日手塩にかけて、大きな船のオールのような木製の櫂棒(かいぼう)で木桶の中の諸味を混ぜていたものが、一瞬で建物の下敷きになってしまい、その時の様子をお話しされる時は、流石の貴昭さんも少し言葉を詰まらせておられました。
大手の醤油メーカーさんの醤油が全国どこでも手に入る現在、地方の小さな醤油蔵さんの在り方として、色々と模索しながら挑戦を続けてこられた結晶が、実り始め、形になり、これからの展開がさらに楽しみというところだったかと思います。
また、昨年は、気候変動の影響も受け、毎年使っていた珠洲の大豆が不作だったことも、今後珠洲の山の方にあるその畑の収穫もどうなっていくのだろうという不安も残っているとお話しされていました。
それでも、貴昭さんと話していると、なんだか今後が全然暗く感じないのです。
きっとこの状況を乗り越えて、また何か新しい形で、地域や県外の横のつながりを強めながら、谷川醸造さんらしい商品を創り出して行かれるのだろうなと、勝手ながらに感じました。
穏やかな話し方の中にも、芯を感じる、カッコ良い職人さん、作り手さんだと思いました。


実際、今は先述の通り、麹作りを再開させ、オリジナルのディップソース、オリジナルノベルティグッズなども作られています。
5月には、金沢市や富山県にある別の醸造会社に製造を依頼したサクラ醤油が完成し、販売を開始されました。
近江町市場の「能登の台所」さんにも並んでいるサクラ醤油を見た時には、私たちも歓喜の声をあげました。
県外の方でも、谷川醸造さんのオンラインショップでの購入も可能ですので(そして谷川醸造さんのHP、オンラインショップがめちゃくちゃかわいいんです!)、是非ご覧いただけたらと思います。
最後になってしまったのですが、私たちが今回谷川醸造さんを訪れた理由。
それは、震災後レスキューされた「サクラ味噌」が購入出来るというお話を知り合いつてに聞き、私たちのオリジナル商品に使わせていただけたらとお願いしました。
二つ返事でご快諾くださり、せっかくなら受け取りに参りますということで、お邪魔させていただきました。
サクラ味噌、大豆の甘みを感じられる、本当に本当に美味しい味噌です。
貴重なものを分けていただきました。
大事に使わせていただきます。
谷川醸造さんのHPはこちらから↓↓